一級建築士

【アニメ】丹下健三|広島の公園は、何に向いている? 建築家の一生(一級建築士 学科Ⅰ 建築史・計画)

【アニメ】丹下健三|広島の公園は、何に向いている? 建築家の一生(一級建築士 学科Ⅰ 建築史・計画)

広島の平和記念公園のまん中を通る、まっすぐな線。この線の先にあるのは、原爆ドームです。この公園を設計したのが、試験にも何度も出る建築家、丹下健三です。シリーズ「建築家の半生」第2話として、その一生をたどります。

アニメでも解説しています。

丹下健三(1953年頃)

*写真:撮影者不明(1953年頃)/パブリックドメイン/Wikimedia Commons*

少年時代:堺・中国・今治(1913年〜)

  • 1913年、大阪府の堺に生まれる
  • 3歳のころ、父の転勤で中国へ渡り、漢口と上海で暮らす
  • やがて愛媛県の今治に移り、小学校と中学校の時期をすごす

広島の図書室で、ル・コルビュジエに出会う(1930年)

1930年、中学を飛び級で修了し、旧制の広島高校へ進みます。この学校の図書室で開いた外国の雑誌に、ル・コルビュジエの建築がのっていました。少年は、建築家になろうと決めます。広島は、丹下がコルビュジエと出会った土地でもあります。

東京帝国大学と前川國男の事務所(1935年〜)

1935年、東京帝国大学の建築学科に入学。卒業後に働いたのは、コルビュジエのもとで学んだ前川國男の設計事務所でした。その後、大学院に進んで都市の研究に打ちこみます。

1945年の夏

戦争がつづく時代でした。1945年の夏、父が亡くなった知らせを受け、東京から今治の実家へ向かう途中、8月6日に立ち寄った尾道で、新型爆弾の知らせを聞きます。同じ日、今治は空襲を受け、母も亡くなりました。

広島平和記念公園(1949年)

1946年に東京大学の助教授になり、その夏、広島に入って街の復興の計画に加わりました。そして1949年、平和記念公園の設計コンペで1等に選ばれます。

決め手になったのは、公園の真ん中を通る一本の線です。東西にのびる平和大通りに直角に交わる軸線の上に、資料館・慰霊碑・原爆ドームがならびます。広島市の資料も、この軸線が設計の基本理念の柱だと書いています。

資料館は、ピロティの柱のあいだから原爆ドームが見えるつくりです。ピロティとは、1階を柱だけにして吹き放しにした空間のことで、コルビュジエの近代建築の五原則の1つめです。

世界へ:CIAMと香川県庁舎(1951年〜1958年)

  • 1951年、ロンドンで開かれた世界の建築家の会議CIAMで、広島の計画を発表。世界の建築界へのデビューになった
  • 1955年、資料館の本館が完成
  • 1958年、香川県庁舎が完成。令和8年の学科Ⅰで、古い建物の意匠を残して免震で耐震性能を上げた免震レトロフィットの例として出題された

東京計画1960(1961年)

1961年に発表した「東京計画1960」は、試験に4回(平成25年・平成29年・令和4年・令和7年)出ています。

  • 平成29年「東京湾を全面的に埋め立てて、放射状の都市構造をつくる提案」→ 誤り
  • 正しくは、都心から東京湾をわたって、線の形の軸をのばす提案。放射状の都市の閉鎖性をのりこえるのが狙い
  • ほかの3回は正しい文

広島の一本の軸と、同じ考え方です。

国立代々木競技場(1964年)

東京オリンピックの年、1964年に国立代々木競技場が完成しました。

  • 吊り構造:柱のあいだに太いワイヤーロープを渡し、屋根を吊りさげる(吊り橋の橋桁を屋根にしたようなもの)
  • 構造を考えたのは、東京大学の坪井善勝
  • 2021年、国の重要文化財に。文化庁は、吊り構造による外観と、中央が伸び上がる内部空間を挙げている

弟子と、世界の賞(1970年〜1987年)

  • 大学の研究室で、槇文彦・磯崎新・黒川紀章らを育てた
  • 1970年の大阪万博では、お祭り広場の設計を手がけた
  • 1987年、建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞(74歳)

2005年3月22日、91歳で亡くなりました。広島の図書室で雑誌を開いた少年は、のちにその広島の街に、一本の線を引いたのです。

まとめ

  • 1913年生まれ。広島の高校でル・コルビュジエの建築に出会う
  • 1949年、広島平和記念公園のコンペで1等。軸線は平和大通りと直角に、原爆ドームへのびる
  • 1958年、香川県庁舎(令和8年:免震レトロフィットの例)
  • 1961年、東京計画1960は線の形の軸。放射状ではない
  • 1964年、国立代々木競技場。吊り構造、構造は坪井善勝
  • 1987年、プリツカー賞

シリーズ第1話はル・コルビュジエの記事です。

出典

この記事は公表資料をもとにした個人の学習ノートです。年・数字は上の出典の範囲で紹介しています。問題文は要約したものです。正確な内容は必ず原典をご確認ください。