一級建築士

【一級建築士 学科Ⅰ】日本建築史②近世〜近代|書院造と数寄屋造の取り違えを見抜く(飛雲閣・東照宮・擬洋風を写真で解説)

【一級建築士 学科Ⅰ】日本建築史②近世〜近代|書院造と数寄屋造の取り違えを見抜く(飛雲閣・東照宮・擬洋風を写真で解説)

一級建築士・学科Ⅰ(計画)で出る日本建築史の2回目です。前回の古代〜中世に続いて、桃山・江戸・明治の建物を扱います。過去10年で近世5肢・近代2肢、ほかに書院造の源流として室町後期の東求堂が1肢出ています。

動画でも解説しています。

この記事でわかること

  • 書院造と数寄屋造の見分け方
  • 誤りの肢2つと、同じ型の取り違え
  • 権現造は日光が最初ではない
  • 明治の擬洋風と本格的洋風の違い

何を調べたか

  • 問題:建築技術教育普及センターの公表分(平成29年〜令和8年)
  • 「最も不適当なもの」を選ぶ問題で、正答肢は誤りの記述
  • 年代・形式:文化庁の国指定文化財等データベース
  • 用語の意味:辞書・事典(コトバンク掲載)。どこが誤りかは筆者の読み
この記事で扱う建物

書院造と数寄屋造

書院造とは、室町時代に始まって桃山時代に完成した武家住宅の様式で、座敷に床の間・違棚・付書院などを備えるもののことです。数寄屋造とは、茶室風につくった建物で、茶室の意匠を取り入れた住宅の様式のことです。

付書院と違棚が出たら書院造、茶室風・草庵風の軽さが出たら数寄屋の系統、と読みます。

慈照寺東求堂(室町後期)

慈照寺東求堂

*写真:Jmhullot/CC BY 3.0/Wikimedia Commons*

銀閣寺の東にある持仏堂で、データベースでは文明17年(1485年)、解説の中には1486年とも書かれています。中にある同仁斎は四畳半で、付書院と違棚を備えます。令和7年は、この同仁斎を「数寄屋造の例」とした肢が誤りでした。付書院と違棚は、書院の座敷飾りです。

なお「現存最古とされる」という部分は、データベースと辞書では確認できませんでした。ここでは年代と、付書院・違棚の有無だけを根拠にしています。

光浄院客殿(桃山・1601年)

令和2年の光浄院客殿も同じ種類の誤りでした。データベースの解説では、江戸時代初めの木割書『匠明』に載っている主殿の図に似ていて、古い形式を意識して整えた書院造の建物です。問題はこれを「技巧を凝らした数寄屋風の建築物」としていました。書院造の建物を数寄屋風と言い換えた、というのが筆者の読みです。

妙喜庵待庵(桃山・天正年間頃)

妙喜庵待庵

*写真:Culture Relics Foundation 文化財協会/パブリックドメイン/Wikimedia Commons*

数寄屋の側の例です。茶室は二畳、次の間は一畳。利休好みの初期の茶室として貴重とされています。令和5年は「二畳隅炉に次の間をもつ、16世紀末頃の草庵風茶室」という正しい肢でした。

臨春閣(江戸前期)

臨春閣

*写真:Urashimataro/パブリックドメイン/Wikimedia Commons*

横浜の三溪園にある建物で、データベースでは江戸前期、一重・入母屋造・檜皮葺です。令和6年は「3棟からなる、江戸時代の数寄屋風書院造り」という正しい肢でした。光浄院客殿の「数寄屋風」とは別物です。

桃山と江戸前期

本願寺飛雲閣(桃山)

本願寺飛雲閣

*写真:Saigen Jiro/CC0/Wikimedia Commons*

池に面して建つ三層の楼閣です。豊臣秀吉が聚楽第に建てたと伝わり、のちに現在地へ移されたとされます。令和6年は、これを「平安時代に建てられた寝殿造り」とした肢が誤りでした。三層を中央からずらし、屋根や唐破風を複雑に配する作りは、左右対称を重んじた寝殿造とは正反対です。時代のすり替えです。

日光東照宮(1636年)

日光東照宮

*写真:Fg2/パブリックドメイン/Wikimedia Commons*

現在の社殿は、徳川家光が寛永13年(1636年)に完成させたものです。権現造とは、本殿と拝殿を石の間でつなぐ神社の形式のことです。令和7年は「本殿と拝殿を石の間でつないだ権現造」という正しい肢でした。前回の範囲では、同じ権現造を春日大社に付けた肢が誤りでした。

権現造は、日光が最初ではない

データベースでは、静岡の久能山東照宮(元和3年・1617年)が権現造の複合社殿で、江戸時代を通じて権現造が全国に普及する契機となった、と解説されています。日光は、1636年の造替で権現造の装飾が集大成された例という位置づけです。

近代

旧開智学校校舎(1876年)

旧開智学校校舎

*写真:Motokoka/CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons*

長野県松本市にある明治9年の学校建築で、木造二階建て、中央に八角形の塔があります。擬洋風建築とは、地元の大工が洋風建築を参考に、伝統技術で建てた和洋折衷の建物のことで、旧開智学校はその代表例です(令和2年・正しい肢)。問題文にあるアーチや隅石などの細部は、データベースの記載からは確認できませんでした。

豊平館(1880年)

豊平館

*写真:Bjørn Christian Tørrissen/CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons*

札幌にある明治13年の建物で、開拓使の営繕課が設計しました。正面中央にコリント式の柱を立てた半円形の車寄せがあり、その上が手すり付きのバルコニーです。データベースは「開拓使の手になる本格的洋風建築」と書いています(令和6年・正しい肢)。

同じ明治の洋風でも、旧開智学校=地元の大工による擬洋風、豊平館=営繕課による本格的な洋風、という対比で覚えます。

誤りの作り方:付け替え

  • 書院造 ⇔ 数寄屋:東求堂(令和7年)・光浄院客殿(令和2年)
  • 桃山 ⇔ 平安:飛雲閣を「平安の寝殿造」(令和6年)

前回の古代〜中世の誤りも、様式・形式・時代の付け替えでした。日本建築史の誤りは、この3つの付け替えで作られていると覚えると、肢を切りやすくなります。

まとめ

  • 書院造=床の間・違棚・付書院/数寄屋=茶室風
  • 飛雲閣=桃山の三層の楼閣(平安の寝殿造ではない)
  • 権現造=石の間でつなぐ(日光1636年・久能山1617年)
  • 旧開智学校=擬洋風/豊平館=本格的洋風

出典

この記事は公表資料をもとにした個人の学習ノートです。問題文は要約しており、どこが誤りかは筆者の判断です。建物の年代などは原典で必ずご確認ください。